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なぜサッカー日本代表の本田圭佑は小学校の卒業文集で「40億円の給料がほしい」と書いたのか

 シーズン半ばにACミランに移籍した、サッカー日本代表の本田圭佑選手。移籍後すぐにセリエAのサッスオーレ戦に途中出場、その次に行われたコッパ・イタリアのスペツィア戦では初ゴールも決めました。

 移籍に当たっては、日本だけでなく、イタリアでも注目が集まっているようですが、中でも本田の目的意識の高さが話題となっています。その原点が垣間見えるということで、ガゼッタ・デロ・スポルト紙が紹介したのが小学校の卒業文集です。

  特筆すべきなのが次の段落。

 「Wカップで有名になって、ぼくは外国から呼ばれてヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって10番で活躍します。一年間の給料は40億円はほしいです。プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り世界中の人がこのぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている」

 この夢をほとんどかなえてしまっているのがすごいところ。まあスパイクの契約はプーマではなく、ミズノだったりするのですが。

 1点、気になるのが、給料の額を40億円としていること。はったりをかますなら、10億円とか100億円といったキリのいい数字を出せばいいのに、どうしてこんな半端な金額を挙げているのか。その謎について考えてみました。

 まず、恐らくリトル本田(小学生時代の本田)は給料と移籍金を間違えていますね。移籍金は100億円を超えることもあるのですが(参考:「欧州サッカー選手 巨額移籍金」)、給料は高くても10億円程度にしかならないので。

 それを踏まえて、本田が何を言いたかったか考えるため、彼が小学校を卒業した1999年ごろの移籍金最高額を見ると、次のようになります(参考:「歴代移籍金レコードホルダー」)。

 

1996年 アラン・シアラー ブラックバーン・ローバーズ→ニューキャッスル・ユナイテッド 1500万ポンド(約26億円)

1997年 ロナウド バルセロナ→インテル・ミラノ 1950万ポンド(約39億円)

1998年 デニウソン サンパウロ→ベティス 2150万ポンド(約43億円)

 

 このあたりの金額は、本田が挙げている40億円という数字と合致しますね。つまり、本田が卒業文集の給料の部分で言いたかったのは「ロナウドやデニウソンのように世界最高の移籍金が提示されるような選手になりたい」ということだったんでしょうね。ほかの部分と同じく、志の高さがうかがえるところです。