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椎名もた(ぽわぽわP)さんのお別れ会(お通夜)に行った

 7月23日に亡くなったボカロPの椎名もた(ぽわぽわP)さん。わずか20年の短い人生でした。

 僕もそれなりにニコニコの世界に漬かっているので、『ストロボラスト』などの名曲を聴いたことはあったのですが、作者としては認識していませんでした。

 今回の事態を受けて、改めて楽曲やインタビューに触れたのですが、青春の葛藤を一杯に投影した言葉や旋律に圧倒されました。10代半ばから活動していたので、彼と一緒に成長していったファンも多いことでしょう。

 大人と子どものはざまで悩んでいた椎名さん。同じく二十歳で亡くなった高野悦子さんの『二十歳の原点』や、立花隆ゼミの『二十歳のころ』を読みながら、僕も自分の現在や未来について考えていたことを思い出します。

 遺族の方も多くの人に訪れてほしいという意向を持っているということなので、似たような思いを抱えていた一人として、お別れ会(お通夜)に参加することにしました。

 お別れ会(お通夜)が行われるかわさき南部斎場は、JR川崎駅からバスに乗って20分ほどの場所。海のそばで、近くにはJFEの工場があります。

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 受付には椎名さんの写真とイラスト(ハフィントンポストの記事の画像と同じ)。そして、その近くにはPC周りの制作環境がそのまま再現されていました(本人の代わりにクマのぬいぐるみが着席)。マックなのですが、モニタがめちゃめちゃ大きかったのが印象的でした。

 参列者は10~20代が中心。男女比は4:6くらいでしたが、女性のほうが年齢層が低くて、制服の学生が少なからず並んでいました。最終的には数百人ほど訪れたのではないでしょうか。

 若い人たちが慣れない格好をして、荒っぽい字が書いてあるくしゃくしゃの香典袋を持っていたのですが、不慣れなことではあるけども、できる限りの礼を尽くして送り出したいという彼らの気持ちが伝わってきました。これが初めてのお通夜の参列という人も多かったはず。

 寄せ書きコーナーや椎名さんの作品コーナーなどもあり、普通のお通夜とはまったく違う雰囲気。

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 斎場内も壁に椎名さんの写真や作品の画像が貼られており、前方のスクリーンでは作品のPV(僕がいた時は『3年C組14番窪園チヨコの入閣 MV』)が流れていました。その隣には初音ミクを開発した伊藤博之クリプトン社長やディバインゲートで関わった森下一喜ガンホー社長の献花も。そして、椎名さんの曲をVJ:Yuma Saitoさん、DJ:相棒のsone chang(曽根原僚介氏)さんが演出。

 焼香を終えると、棺桶の中の椎名さんと対面するわけですが、眠っているかのような本当にきれいな顔。それだけに言いようのない悲しみも沸き起こってきて、僕の隣にいた男性は涙を流していました。

 斎場を出ると、むっとするような暑さの中、響き渡るセミの鳴き声。暮れゆく青い空を見上げながら、真摯に音楽に向き合い続けた椎名さんのように、僕も頑張らないといけないなと改めて思いました。

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▼グーグルトレンド

 2012年ごろから椎名もた名義での発信が増えていきます。トレンドとしては、やはりアルバム発売時に伸びています。

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▼椎名もたさんの年表

 10代半ばで初めて動画を投稿してからは、まさにマンガのような人生でした。

1995年3月9日 誕生

2009年6月29日 『now_ReMix』を投稿してVOCALOIDデビュー。ただし後に消しているので、現存する楽曲では『【初音ミク】おはよう。【オリジナル曲】』が最古

2011年1月20日 『ストロボラスト』投稿後、活動休止を発表。しかし、GINGA(曽根原僚介氏)との出会いなどもあって活動再開

2012年3月1日 マジョリティの中のマイノリティ 椎名もたインタビュー(CINRA.NET)

2012年3月7日 ファーストアルバム『夢のまにまに』リリース

2012年6月12日 ボカロクリエイターズインタビュー Vol.04 ぽわぽわP(椎名もた)(Google+)

2013年10月9日 セカンドアルバム『アルターワー・セツナポップ』リリース

2013年10月11日 さよならだけが答えじゃない 椎名もたインタビュー(CINRA.NET)

2013年10月11日 若き才能の変革期とこれから──椎名もた(ぽわぽわP)インタビュー(KAI-YOU.net)

2015年3月4日 サードアルバム『生きる』リリース。まるで遺書のような内容で、特に最後の『さよーならみなさん』という曲が印象的

2015年3月4日 批判や精神不安定からサバイブした、椎名もたの漫画みたいな人生(CINRA.NET)

2015年7月23日 最後の曲『赤ペン先生おねがいします』を投稿

2015年7月23日 逝去