4月16日、17日に静岡県沼津市のプラサヴェルデで開催された「レトロゲームアラカルト」。
2日目の「ゲームボーイの延命策、ゲームボーイカラー誕生秘話」をTwitter実況した内容をまとめました。登壇者は元任天堂開発技術部部長の岡田智さん、プレゼンターのたけだむねのり(まめ)さんです。
ゲームボーイの試作品を山内社長が投げつけて耐久テストをしたという話がデマであると、当事者の口から聞けたのが個人的には一番の収穫でした。
レトロゲームアラカルト2日目最初に聞く講演は「ゲームボーイの延命策、ゲームボーイカラー誕生秘話」。登壇者は元任天堂開発技術部部長の岡田智さんとプレゼンターのたけだむねのり(まめ)さん #retrogamealacarte pic.twitter.com/V12vQV1H08
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田さんが持ってきた1000万台記念のゲームウォッチ。200~1000台の限定生産で関係者のみに配られたが、オークションに出品されていて任天堂が怒ったらしいw #retrogamealacarte pic.twitter.com/MNcBNiC7WM
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田さんは任天堂で38年働いて、辞めてから10年。ゲームボーイやニンテンドーDSなど、さまざまなゲームハードの設計に携わった #retrogamealacarte pic.twitter.com/1IWmhYGnaZ
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
ハードからソフトまで広く携わっている #retrogamealacarte pic.twitter.com/cYdiJfupEE
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田さんはゲームボーイにも関わっているが、ゲームボーイカラーとの間の9年間に謎の空白が #retrogamealacarte pic.twitter.com/YeAec17aHQ
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ゲームボーイはファミコンを持ち歩く発想から生まれた。もともとゲーム&ウォッチがあったが1ハード1ゲームだった。ファミコンで1ハード複数ゲームが遊べるのをみてうらやましくて、それを携帯できるようにしたかった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ファミコンをヒットさせるにはソフトだけでは足りないので、みんなで盛り上がれる光線銃を作った。ゲームソフトのアイデアがなかったので、宮本茂さんにディレクターになってもらって、3本くらいソフトを作ってもらった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:光線銃を作った時、あまりにもファミコンの技術資料がなくて、何かしようとすると開発担当者に聞きに行ってプログラムを書かないといけなかった。苦労して作ったのにナムコが資料なしでギャラクシャンを作っていてびっくりした #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ファミコンを盛り上げるにはサードパーティが重要だが、開発環境の充実が大事だと光線銃開発で気づいた #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ほとんどのゲームは依頼されて作ったが、ファミコンウォーズは大戦略にはまって自分から作った。最初は大戦略の版権を買い取ろうとしたけどすでに買い取られて作れなかった。知財部もゴーを出してくれた #retrogamealacarte pic.twitter.com/u38BpcihZ4
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:携帯ゲームはずっと作りたかった。ファミコンと同じ性能を携帯ゲームで実現しようとすると電源が厳しかった。ただ、あるメーカーから安い液晶の売り込みがあって、横井軍平さんが携帯ゲームのプロジェクトを立ち上げた #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:横井さんから頼まれて携帯ゲームのプロジェクトに参加することに。横井さんは1年くらいで簡単に作って売ろうと言っていてファミコンの仕様と全然違っていた。それだと動きのあるゲームは作りにくいと思った。2、3年かけてねりこんではどうかと提案 #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
ゲームボーイの仕様(岡田案)。値段は1万円を切れというのが絶対命題だった #retrogamealacarte pic.twitter.com/yKfLeoCbvS
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:通信ケーブルは以前にマージャンゲームで作ったものを流用。マージャンゲームは数万台しか売れなかったので周りには反対された。通信の仕組みが貧弱だったし。でも将来のためにつけておこうと押し切った #retrogamealacarte pic.twitter.com/pcu1W7y6si
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:通信機能のテストではアレイウェイ(ブロック崩し)を使用。これがテトリスやポケモンの通信を活用しての大ヒットにつながる。ゲームボーイは7400万台販売されることに #retrogamealacarte pic.twitter.com/cOeRo3UDmn
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:ゲームボーイの次世代機の開発は認められていなかったが、こっそり課外活動でやっていた。山内社長が「ゲームはソフトで売れるものでハードは関係ない、余計なことはするな」と言っていたから #retrogamealacarte pic.twitter.com/k19j9udvjH
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:カラー化の試作機を作ってはみたものの、電池の消耗がすごかったので会社に提案するのをあきらめた。その後32ビットのカラーも作ってみたがあきらめた。時期的にカラーにするには早すぎた。カラーの液晶が古くて見栄えが悪かった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:バンダイからワンダースワンを任天堂で発売してくれないかと依頼があった。それで社長があわててカラー版の製品化がもちかけられる。ワンダースワンに発売時期で負けないように作れと。しかも直前にシャープが新しいカラー液晶を開発して売り込みもあった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:呼び出された会議には10数人いたけど、簡単にできるやろというノリだった。液晶変えればいいだけだろと。でもそんなに簡単ではないので1年くださいと言ったら、それが通った。試作機を活用すればなんとかなるだろうと #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:カラーにすることと1年以内に発売することが命題だった。ワンダースワンのスペックがゲームボーイを超えるものではないと分かっていたので、カラーにすれば勝てると #retrogamealacarte pic.twitter.com/je0HtVSjp7
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:ソフトを作っている部署からは反発があった。カラーになっただけで旧来と同じスペックでは知的好奇心や開発意欲がわかないと。ポケモンでゲームボーイは盛り返したが、社内のソフト作りもスーファミや64に移行していたので #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
ゲームボーイとゲームボーイカラーの仕様比較。CPUは多少底上げ #retrogamealacarte pic.twitter.com/OOPATR5ZB4
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:ゲームボーイカラーは完全互換できす。最初はもっとあったが修正して減らした。社内の技術屋から「完全互換ちゃうやないか」とめちゃめちゃ突かれた。動かないのはトリッキーなプログラムを組んでたから #retrogamealacarte pic.twitter.com/96gJPkug47
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:完全互換できないゲームを調べたら、それほど売れていなかった。修正に1年かけるくらいならということで、マニュアルなどで周知を徹底することで対応した。ソフトメーカーにも謝りにいった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
:社内でカラー対応のゲームを作れなかったので、ちょうどドラクエのタイトルを作っていたエニックスに相談。これで生まれたのがドラゴンクエストモンスターズ #retrogamealacarte pic.twitter.com/jde9L4Knqr
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:ゲームボーイカラーは短期間で4600万台販売。これでハードの発売でもゲーム市場をけんいんできるという認識が生まれた #retrogamealacarte pic.twitter.com/ymsPMMFWRL
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:ゲームボーイカラーでは、互換性があるのは大きいと気づいた。それまでは32ビットの次世代機を作るとかに目がいっていたけど。スーファミもファミコンとの互換性がないけど売れていたし #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:その後、ゲームボーイアドバンスでは横型にしたら、これも反対が多かった #retrogamealacarte pic.twitter.com/L3jQlFb7PY
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
宮本茂さんから電話で「何で横型にしたんや?ゲームボーイは縦型がオリジナルではないのか」と言われた。デザインにインパクトを与えたいし、持ちやすいからと説得したが納得してくれなかった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
「このプロジェクトは誰が責任を持っているんですか、売れなかったら宮本さんが責任持ってくれるんですか」といったら通った #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:ゲームボーイが売れてからは、社長からは「お前らはアイデアは面白いから遊んでいてもいい」と言われていた。でもゲームボーイカラーの後は忙しくなったw #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:空白の9年間はちょうど円高の時期で、売れても利益がでなかった。そのころヒマだったのでいろいろと作っていた。日本のデザイナーが忙しかったので、米国のデザイナーと丁々発止のやりとりをしながら #retrogamealacarte pic.twitter.com/3bmIHLXSxH
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田さんが考える携帯ゲームに必要な要素。電池寿命が一番大事。ゲームウォッチの最初の仕様で、東京と京都の新幹線往復(約6時間)で遊べるくらいがいいと横井軍平さんが言っていたのを採用 #retrogamealacarte pic.twitter.com/17iNUR0lBv
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日
岡田:山内社長が値ごろ感には敏感だった。ゲームボーイが9800円目標だったのに1万2800円になったのは、山内社長が試作機を気に入ったので「9800円だともうからんから1万2800円にしよう」といったから。ずっこけた #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ゲームウォッチでも5000円目標だったけど、山内さんが気に入って高くした。でもそれが失敗のもとでもあった。利益が出るので、他社が追随しやすくなったから #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:携帯ゲームは他人に見られるので、デザインがより重要になると認識していた。大きさもこだわっていて、胸ポケットに入るくらいの大きさにして山内社長にプレゼンしたら、「大きいポケットにしてるやろ」と指摘された。まあちょっと大きかったんだけど #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田さんの開発者としてのポリシー。必要なもの以外はそぎ落とす。会議では何も決まらない #retrogamealacarte pic.twitter.com/9cwKodNCj1
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
:ゲームボーイカラーで液晶のサイズが小さくなったのは、安くしたかったのと、新型液晶が視認性が良かったから。上から大丈夫なのかと聞かれて、決めてますからと答えたが内心ドキドキだった。開発進んでたし #retrogamealacarte pic.twitter.com/7Zk8vOAA4v
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ゲームボーイの耐久テストで山内社長が投げつけたというのはデマ。工場での耐久テストで普通は1.5メートルから落とすところで、担当者がなぜか投げつけて壊れなかったことが元ネタになっているのではないか #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:ゲームボーイの発売CMは、宣伝担当が山内さんと話をするのが怖いということでなぜか僕が担当することになった #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:CMはスタンドバイミーのオマージュ。山内さんは海外嫌いで「オーストラリアで撮影する」といったら「沖縄で撮影しろ、俺の言うことが聞けないのか」と。「聞けません」「勝手にしろ」「勝手にします」となって「出来悪かったらハンコつかないからな」と #retrogamealacarte
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
岡田:結局、できたCMを山内さんの娘に見せたら、「お父さん、このCM面白いやん」となって、まるくおさまった #retrogamealacarte https://t.co/vOvwuJlcLU
— すずき (@michsuzu) 2016年4月17日