4月16日、17日に静岡県沼津市のプラサヴェルデで開催された「レトロゲームアラカルト」。
2日目の「アーケード黎明期を語る座談会」をTwitter実況した内容をまとめました。登壇者は高井商会の高井一美さん、「それはポンから始まった」著者の赤木真澄さん、 スペースインベーダー生みの親の西角友宏さん、OBSLiveのおにたま(@onionsoftware)さんです。
インベーダーゲームを料亭や名曲喫茶にまで売り込んだという話が興味深かったです。
次は「アーケード黎明期を語る座談会」。登壇者は高井商会の高井一美さん、「それはポンから始まった」著者の赤木真澄さん、スペースインベーダー生みの親の西角友宏さん、OBSLiveのおにたまさん #retrogamealacarte pic.twitter.com/nv5Zk3Iv4i
— すずき (@michsuzu) April 17, 2016
おにたま:1970年の万博ではゲームの展示も。1万5000円の売り上げ記録を作る。当時の初任給は約3万円。
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高井:当時は、ゲームだけで利益を出すのは難しくて、遊園地などと組みあわせていた #retrogamealacarte pic.twitter.com/XuiAnXkJqN
高井:ピンボールはゲームコーナーの3分の1くらいを占めていた。ほかにはドライブ、ガンゲーム。いかに楽しくきれいにプレイしてもらうかを意識して、配置を工夫していた #retrogamealacarte pic.twitter.com/RrZdDO0AWI
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赤木:70年代はどちらかといえば米国製のピンボールが安定して稼いでいた。次がドライブゲーム。
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西角:タイトーもピンボールを研究していたが、フィールドが日本ではできないレベルなのであきらめた。耐久性のある素材がなかったし、印刷技術が違った #retrogamealacarte
高井:ピンボールは自分で塗装したり、ゴムも張り替えていた。技術のある人でないとこの業界には入れなかった。セガのピンボールは耐久力がなかった #retrogamealacarte
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赤木:当時は関西精機がトップメーカー
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高井:関西精機はアイデアがあった
赤木:古川社長が技術系で、会いに行っても研究室から出てこなかった。社長が前面に出てこなくて別の人が対外折衝を担当していた #retrogamealacarte pic.twitter.com/FljAZ25eE5
西角:作り方のマニュアルがないので、前に作った人のものを参考にして作っていた。ただ、どこかに1つ新しいことを加えられるように意識していた。ハンドメイドで1日20~30台を製作 #retrogamealacarte pic.twitter.com/nhmk7Ikmaj
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高井:F-1は音が良かった
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西角:スカイファイターは電子音。その前のペリスコープではドラを使っていた。ペリスコープは米国で同様のゲームがあって、日本でも同種のゲームがあふれた #retrogamealacarte pic.twitter.com/PPJ93utSPJ
おにたま:機械が大型化していく
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赤木:ヘリコプターゲームとかいろんなものを作ってみたものの、ガンゲームとかがやはり人気だった
高井:ヘリシューターは大きすぎるので、別のを2台置くほうがよかった #retrogamealacarte pic.twitter.com/Qi67gmdPWW
西角:大きい筐体を作るのは難しかった。テレビゲームの出始めで、対抗するため、迫力を求めて大型になっていった。一方、坪単価が低下する問題も #retrogamealacarte
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高井:エレメカとテレビゲームは最初は共存していた。ブロック崩しやインベーダーゲームが出現して、一気に変わった。当時のゲームは2人用ゲームが多かったけど、1人で両手でプレイしていた人もいた #retrogamealacarte pic.twitter.com/giGOGw30gv
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西角:テーブルにゲームを埋めこんで、喫茶店に持っていくのはタイトーの営業がやりだした。常に坪単価を考えていたから #retrogamealacarte pic.twitter.com/oN2ZghPQ4A
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赤木:コピー版が問題になってナムコが法的手続きに訴える、結果うまくいってコピー版が減るように。しかし、テレビゲームのほうにコピー問題が移ることに。愉快犯的にコピーするような風潮もあったような #retrogamealacarte pic.twitter.com/53QlUXrgy6
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西角:タイトーもコピー版にクレームつけたりしていたが、相手が倒産してうやむやになった
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高井:テレビゲーム以外では、ちょっとだけデザインを変えるとか横行していてコピーかどうか分かりにくかった #retrogamealacarte
高井:インベーダーブーム。テーブルゲームになって、喫茶店や銭湯、山小屋にも置かれるように。エレメカに比べると故障率が10分の1くらいになった #retrogamealacarte pic.twitter.com/an87LYiRR3
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西角:関西ではいろいろやっていて、料亭や名曲喫茶にもいれたとか。しかし、あえなく失敗した。分からないけど、とりあえず入れてみてというのを続けた結果、やりすぎて社会問題化して自粛宣言することに #retrogamealacarte pic.twitter.com/YsG3H6Gdf3
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高井:インベーダーハウスは真っ黒な場所にテレビ画面だけが光っている、そこにお金を積んでプレイ。子供がいたりタバコを吸っていたりしたので、マズイんじゃないかと。女性もいないし、雰囲気が悪かった
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赤井:知らない人には賭けているようにも見えた #retrogamealacarte
高井:80年前後は夢をもう一度とインベーダーに続くものを探していた
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西角:インベーダーを見てゲーム業界に入った人も多かった。子供が駄菓子屋でゲームを遊べるようになったのはインベーダーから #retrogamealacarte pic.twitter.com/VF3FH4NBnu
高井:インベーダーブームが終わった後、喫茶店などのテーブル型の筐体を改造して、駄菓子屋に置いたことで子どもも遊べるようになった #retrogamealacarte
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西角:インベーダーが英語表示なのは、海外向けの営業から要望があったからではなく、かっこよさや作りやすさから。でも、そのおかげですぐに外国に持っていけた #retrogamealacarte
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高井:うまくて長時間居座るプレイヤーはちょっと困ったw人気の機種に限ってそういう人がつく。五円玉にひもを通していれるとかズルをするプレイヤーもいるので、ワルとの知恵比べもあった #retrogamealacarte
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西角:かつては3分くらいの時間制でスコア勝負だったけど、ブロック崩しやインベーダーから変わった。そのせいで営業が困っていた #retrogamealacarte
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高井:テレビゲームはアイデアを持って1つのゲームを作ってほしい。見た目や音が変わっただけではだめ、テトリスやインベーダーが出た時のように
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西角:今のクリエイターは最新のテクノロジーを使っているが、温故知新でレトロゲームも見てヒントにしてほしい #retrogamealacarte
赤木:テトリスや電車でGOのように誰も発想していなかったゲームが出てきたときは本当に驚いた。既存のものにとらわれず新しいものを出し続けてほしい #retrogamealacarte
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