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ニュースステーション最終回、久米宏キャスターの最後の言葉を書き起こした

 3月末、報道ステーションのメインキャスターを12年にわたって務めた古舘伊知郎さんが降板。その最後のあいさつが話題となりました。

 →古舘キャスター「報ステ」最後のあいさつ全文…その1(スポーツ報知)

 →古舘キャスター「報ステ」最後のあいさつ全文…その2(スポーツ報知)

 古館さんのスタンスには賛否が分かれるのですが、ニュースステーションから続くテレビ朝日の看板ニュース番組を長年担当した苦労は計り知れないものだったでしょう。

 ここで筆者が気になったのは、報ステの前番組であるニュースステーションの最終回はどうだったのかということ。そこで最終回(2004年3月26日)の動画から、メインキャスターの久米宏さん、サブキャスターの渡辺真理さんの言葉を書き起こしてみました。

 国民的ニュース番組の最終回ということで社会的な意義があると考えているのですが、有料販売されていないテレビ放送とはいえ動画は著作権的に問題があるので、権利者の方からご連絡があれば、埋め込みを解除いたします。書き起こしているのは動画の7分20秒ごろからです。

▼ニュースステーション最終回のやりとり

久米宏:真理さんからあいさつありますか?

渡辺真理:あいさつ、はい。あの、VTRがニュースステーション流れている時、スポーツですとか、特集ですとか、私どももスタジオでかなりこうして見入っておりました。そういう意味で、その時見ていてくださったみなさま方と同じ時間を共有できたということが何より幸せでした。聞き取りにくいニュースがたくさんあったと思いますが、ありがとうございました。

 あの、花冷えが続きますので、来週以降もお体をお気をつけてと思っています。ありがとうございました。

久米:ニュースステーション、まもなく終了するのですが、大勢の方にお礼を申し上げなければいけません。

 まず、この場を提供してくださったテレビ朝日、それから代理店の電通、さらには莫大な資金を提供してくださった関係スポンサーのみなさま。この、民間放送はあれなんですよね、原則としてスポンサーがないと番組成立しないんです。そういう意味では民間放送というのはかなり脆弱で弱くて危険なものなんですけど、僕、この民間放送が大好きというか愛していると言ってもいいんです。

 なぜかというと、日本の民間放送は原則として戦後すべて生まれました。日本の民間放送、民放は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードしたという過去が民間放送にはありません。これからもそういうことがないことを祈っております。

 さて、この番組に関係したスタッフが何人いるか分かりません。歴代のプロデューサー、そしてディレクターたちが何代入れ替わったか分かりません。美術さんとか大道具さんとか照明さんとか音声さんとかカメラさんとか、飲み物とか食べ物を作ってくれる消え物さんとか、メイクの人とかスタイリストの方。

 それから広い意味で言うと、さっき“莫大な資金を提供してくださったスポンサー”と申し上げましたが、提供スポンサーの社員の方というのは、その方たちが働いて利潤を生み出して、その利潤が宣伝費に回って、それでスポンサーとなってくださったわけですから、広い意味でいうとスポンサーの社員の方もスタッフだという考え方ができるんです。

 そうなるとですね、何万人という従業員を抱えた大企業が何社もスポンサーについてくださったので、スタッフというか、この番組に関係した方たちの数というのは千や百のオーダーではとても計れません。万、十万、下手すると百万。

 で、もしかしたらスポンサーの製品とかサービスを買ってくださった方もスタッフだという考え方さえできるのですから、そうなると何千万という単位になるのかもしれません。本当にありがとうございました。

 特に真理さんの言った、見てくださった方、番組を支援してくださった方へのお礼は何回言っても言い過ぎるということはありません。

 僕は小学校1年から6年まで、通信簿の中に通信欄というものがあって、先生から母親や父親へのメッセージだったのですが、同じことがいつも書いてありました。久米くんは落ち着きがない、飽きっぽい、持続性がない、協調性がない……ずーっと1年から6年まで同じで、もうコンプレックスにさえなっていたのですが、小学校の時の先生、一人ぐらい見てらっしゃいませんかね。18年半やりましたよ、あなた。本当に僕は偉いと思うんだ。

渡辺:いや、本質的に変わっているか変わっていないかは別の話……

久米:いや、そんなことはない。

渡辺:そんなことあるけど。

久米:違うんだ、自分にごほうびをあげようと思って。

 (久米、スタジオ奥に歩いていく)

渡辺:僕のごほうびって……。背中を向けまして申しわけございません。

久米:もう自分でも本当に、これは偉いと思うんだ。

 (久米、奥の冷蔵庫からビールを取り出してくる)

渡辺:あっ、またもう、しかも1つじゃないですか。

久米:当たり前ですよ。

渡辺:どういうことですの、これ。

久米:見てくださった方にはもちろんなのですが、大勢の方が見てくださったおかげだと思うのですが、想像できないぐらいの厳しい批判、激しい抗議も受けました。もちろんこちらに否があるものもたくさんあったのですが、こちらが理由が分からない、ゆえなき批判としか思えないような批判もたくさんありました。

 が、今にして思えば、そういう厳しい批判をしてくださる方が大勢いらっしゃったからこそ、こんなに長くできたんだということが本当に最近よく分かっています。これは皮肉でも嫌味でもなんでもありません。厳しい批判をしてくださった方、本当にありがとうございました。感謝しています。これ、僕のごほうびです

 (久米、ビール瓶の栓を開けて、コップにつぐ)

渡辺:最後まで、ちょっと最後までひとりよがりっぽい……

久米:いやー、みなさん一緒に、近くに飲み物がある方、乾杯しません、テレビ見ている方。お酒ダメですよ、仕事がある方とか、運転する方。

渡辺:小学校の先生、本当に怒ってらっしゃる……

久米:お茶とか水とかにしてくださいね。あ、いつも番組の最後のほうにやっています、予告編です。

 (中国語のパロディ予告編が流れる)

久米:じゃ、乾杯。

 (久米、ビールを一気飲み)

久米:本当にお別れです、さよなら。

▼批判との向き合い方

 当時は生放送中にビールを飲むというパフォーマンスが話題となったのですが、筆者の心に残ったのは批判や抗議との向き合い方ですね。媒体は違いますが、批判者を完全に対抗勢力と扱って失敗しているAppBankの姿をみると、どういうことが大事なのかが分かる気がします。

 ネットの広まりで、視聴者の声が当時より大きくなっていることもあるのですが、正当な批判は真摯に受け止め、ゆえなき批判はパワーに変えてポリシーを貫くというのは、どんなメディア運営でも大切なことなのでしょう。

 最後に中国語の予告編が流れたのは、中国との特別な関係を示唆するものだったんですかね。