12月5日、いよいよWSOMの本番が始まります。
WSOMの日程は2日間。12月5日には全16局の1荘を4回、つまり64局打って、成績上位32人が12月6日の決勝トーナメントに進みます。
参加者は217人で、日本からの参加者は30人強とそれなりの割合。そのためか、日本語のトーナメントスケジュールも用意されていました。
前日の練習日にはそれほどプレイヤーの姿を見かけなかったのですが、対戦相手が発表される11時ごろに着くと、参加者がロビーを埋め尽くしていました。
12時前に試合会場へ入ります。入り口ではゴツイお兄さん2人が目を光らせていて、参加証を見せないと入れませんでした。
試合開始前の会場の様子はこちら。中央の配信卓付近では、記念写真を撮る人たちの姿も。
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東南西北の牌を使って席順を決めます。
当然みんなガチで打っているのですが、開始前には全員集まって記念写真を撮っている卓も見かけました。
成績用紙は各人が名前と選手番号を書いてから、誰か1人が得点をつけていきます(あがった人が書く場合も)。
なぜか僕は8回中5回も筆記係を押し付けられたのですが、「日本人はズルしない」みたいな先入観があるからなのかもしれません。他の国の人だと得点を記入した後、ほかの参加者に確認を求めない人もいたんですよね。
僕の成績は次の通りで惨敗。序盤にマイナスが続いたため、2回戦後半からは高い手しか狙わないようにしたのでジリ貧となっています。
点数の推移をみると、僕が高い手を振り込んだのは3回戦前半のトイトイ+二暗刻の35点だけ。それも早い巡目の1副露だったので事故に近かったのですが、逆に言うとそれだけオリていたということなので、もう少し攻めるべきでした。
局単位では、一番後悔しているのがマイナス33点で迎えた1回戦後半の最終局。早い巡目でピンズの123と789を仕掛けて、手牌は「11m 中中 発発」。警戒されるけどあがれることもあるかなと思ってたら、少牌じゃねーか!!! 日本での練習を含めて多牌も少牌もやったことがなかったのですが、まさかここで出るとは。
日本麻雀では鳴く時の動作が「発声→鳴く牌を見せる→打牌→牌を拾って卓の右に移動」の順で、WSOMでは「発声→鳴く牌を見せる→牌を拾って卓の左に移動→打牌」の順なので、それが混ざって「発声→鳴く牌を見せる→打牌→牌を拾って卓の左に移動→打牌」と2回打牌してしまったことが原因だと思います。
当然黙ってたら、警戒した相手が1点であがってくれたのですが、あがれたら100点以上に浮上できたので心が折れそうになった一局でした。
1回戦後半はほかにも事件があって、1人の参加者が時間になっても現れなかったため、運営スタッフの女の子が入りました。成績用紙で署名が1つ欠けているのはそのため。ちなみに女の子は普通に打って、ピンフのみもあがっていました。
打っていて楽しかったのは最終戦となった4回戦後半。全員が高い手しか狙っていなくて、発生したアガリはすべて35点以上の乱打戦。僕も888pと666mを仕掛けて8mを切ればテンパイする「337778m 22p」で、22pを落として無理やり「3377788m」のテンパイにした三連刻・トイトイ・タンヤオの135点はあがりたかったです。
ルールでは見せ牌や思考時間の規定などが厳しく書かれていたのですが、実際はほとんど適用されず、なあなあで進んでいくことに(翌日のベスト32以降は厳しかったです)。
それなりに参加費が高いので、参加者の年齢層も高いかと思ったのですが、意外と若い人も多くて、若い人ばかりの卓になった時は、学生時代に卓を囲んでいたことを思い出せて楽しかったです。
中国、香港、台湾、日本と、政治的には微妙な関係にある国の参加者がほとんどを占めていたのですが、大会で接している限りではそうした雰囲気は感じられませんでした。というより、「微妙な関係にあることは分かっているけど、そういうことは今は関係ないよね」という姿勢をお互い見せようとしていたと思います。
10時間ほどの対局を終えると、22時過ぎに得点表が張り出され、翌日のベスト32に進む選手が発表されました(基本的に大会進行は遅れ気味)。
日本からの参加者は30人以上いたのですが、ベスト32に残ったのは麻雀プロの多井隆晴さん、鈴木たろうさん、漫画家の片山まさゆきさんの3人だけ。惜しかった人は多かったのですが。
なお敗退した人たちはすぐにカジノの方向へと消えていきました。ベスト32に残った人も混じっていたように見えましたが、気のせいだと思います(笑)。